学校法人会計基準は数字をどう見せるのか

石造りの円形の門の向こうに続く回廊。向こうには緑。

制度が先に決めている、決算書の読み方

学校法人の決算書を初めて手にしたとき、その読みにくさに戸惑った人は少なくないだろう。企業の決算書とは、科目の名前も並び方も違う。「基本金」「事業活動収支差額」「資金収支」——見慣れない言葉が並び、どこを見れば法人の健全さがわかるのか、すぐには掴めない。数字に明るいはずの人でも、最初はページを繰る手が止まる。けれど、この読みにくさは、読む側の理解不足のせいではない。学校法人の会計は、企業とは異なる決まりで数字を映すよう、制度によって定められている。今回は、その決まりが「経営の数字の見え方」をどう形づくっているのかを整理してみたい。

目次

決算書が読みにくいという実感

年度末、事務局から回ってきた分厚い計算書類を前に、どこから目を通せばよいのか迷う。損益計算書を探しても見当たらず、代わりに資金収支計算書や事業活動収支計算書という、馴染みのない書類が並んでいる。利益はどこに書いてあるのか。この法人は儲かっているのか、いないのか。企業の決算書に慣れた目には、その問いそのものが、うまく当てはまらない。

この戸惑いは、珍しいものではない。数字を扱い慣れた人でさえ、学校法人の計算書類を前にすると、勝手が違うと感じる。学校法人の会計は、独自の文法で書かれているからだ。そして、その文法を知らないまま数字だけを追うと、実態を読み違えることがある。黒字と赤字の判断さえ、思わぬところで逆さまになる。なぜ、これほど決まりが違うのか。その成り立ちから見ていきたい。

制度が定める独特の様式

学校法人の会計は、学校法人会計基準にもとづいている。この基準は、補助金の交付を受ける学校法人が従うべき会計の決まりとして、私立学校振興助成法を根拠に定められてきた。公的な資金を受け入れる以上、その使われ方を定まった形で示すことが求められる、という筋である。企業会計が、出資者への利益の分配を計算するために組み立てられているのに対し、学校法人会計は、利益を生むことではなく、教育活動を将来にわたって続けられるかどうかを映すために設計されている。目的が違えば、書類の形も違ってくる。

だからこそ、そこには資金収支計算書、事業活動収支計算書、貸借対照表という、企業とは少し異なる書類が並ぶ。資金収支計算書は一年の現金の出入りを、事業活動収支計算書はその年の活動が収支として釣り合ったかを、貸借対照表は積み上がってきた資産と負債の姿を、それぞれ別の角度から映す。同じ法人を、複数の面から見るための組み合わせである。会計基準とは、法人の姿を、教育の継続という物差しで映すための決まりである。なお、この基準は動かないものではない。近年も見直しが重ねられ、引当金の扱いなどが改められた。制度が社会の求めに応じて引き直されるのは、法そのものと変わらない。

基本金という仕組み

学校法人会計を独特なものにしている中心が、基本金という考え方である。学校を続けるには、校地や校舎、設備といった、教育に欠かせない資産を持ち続けなければならない。そうした資産を取得し、維持していくために充てた金額を、事業活動の収入から「組み入れて」確保しておく——この組み入れた額が、基本金である。手元の現金として自由に使える部分とは切り離し、法人の土台として囲い込んでおく。企業会計には見られない、学校法人に固有の仕組みだといえる。

この考え方の底には、教育の土台を食いつぶさないようにする、という発想がある。今年の収入を、今年のうちにすべて使い切ってしまえば、目先の帳尻は合う。しかし、それでは校舎や設備の更新に備える余力が残らず、いずれ土台そのものが痩せていく。基本金は、その痩せを防ぐために、将来へ回すべき分をあらかじめ脇へ置いておく仕掛けだといえる。

重要なのは、この組み入れが、収支の見え方に直接影響することだ。事業活動収支計算書では、基本金を組み入れる前の収支差額と、組み入れた後の収支差額とが、分けて示される。いくら手元に残ったかではなく、将来のための土台を確保したうえで、なお収支がどうであったかを、この決まりは問うている。

黒字が赤字に見えるとき

この仕組みは、しばしば見る者を惑わせる。簡単な例で考えてみたい。ある年度、事業活動の収入が支出を一億円上回ったとする。数字だけ見れば、大きな黒字である。ところが同じ年、老朽化した校舎を建て替え、その資産を保つために一億二千万円を基本金へ組み入れたとすると、組み入れた後の収支差額は、二千万円のマイナスに沈む。帳簿の上では、黒字だったはずの年が、赤字として現れる。

だが、これは経営が傾いたわけではない。むしろ、将来のための土台を厚くした結果として、そう映っているにすぎない。逆に、大きな投資のない年は組み入れも小さく、差額は楽に黒字へ振れる。ここで一つ、断っておきたい。組み入れる額は、法人が見た目を整えるために自由に増減できるものではない。取得した校舎や設備などに応じて、会計基準の定めるところに従って決まる。決算の黒赤を動かしているのは、恣意的な調整ではなく、その年に将来へどれだけ投じたかである。大きく投じた年ほど赤く映り、投じなかった年は黒く映る。経営の巧みさより先に、投資のタイミングが見た目を左右する。制度が「見え方」を先に決めている、とはこういうことである。

だから、組み入れ後の収支差額という一つの数字だけを取り出して、健全か否かを判じることはできない。かつて経常収支差額を軸に財務を読んだように、どの数字を、どの位置から見るかで、同じ決算書の景色は変わる。もっとも、この分かりにくさを、一方的に欠点と断ずるのも早計だろう。営利を目的としない法人の姿を、営利企業と同じ物差しで測れないのは、むしろ当然のことでもある。ただし、独特であることには代償もある。外部の目には比較や理解が難しく、その分だけ、開かれた説明の手間が要る。この点は、いずれ情報公開の話へつながっていく。

見え方の先を読む

こうして見てくると、会計基準とは、経営の実態そのものではなく、実態を映すための決まりであることがわかる。鏡がある目的に合わせて作られていれば、そこに映る像も、その目的に沿って整えられる。だから、映った数字をそのまま実態と受け取るのではなく、どういう決まりで映されているのかを踏まえて、読み解く必要がある。

一枚の決算書の裏には、資産形成をどう積み上げてきたかという、長い時間の営みがある。会計基準は、その営みを所定の書式に折りたたんで見せている。折りたたまれ方を知れば、同じ数字がまったく違って見えてくる。決算書を読むとは、その決まりの癖ごと、奥にある法人の実態を読み取り直すことなのだと思います

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