私立学校法は何を守ろうとしているのか

緑に囲まれる石畳の向こうに穏やかな陽射しと昔ながらの建物

縛るための枠ではなく、立つための器として

日々の業務のなかで、私立学校法という法律そのものを意識する場面は、そう多くないかもしれない。多くの判断は、法人の慣行や前年の踏襲のなかで、ごく自然に進んでいく。条文を開く機会など、ほとんどないという人のほうが多いだろう。それでも、その一つひとつの判断が立っている地面は、確かに法によって引かれている。

学校法人は、会社でもなければ、任意の団体でもない。私立学校法という法律によって定められた、固有の法人格である。私立の学校を設けて運営するために、専用の器がわざわざ法で用意されている。なぜ、そこまでして枠づけられているのか。学校法人という器は、法が何かを守るために設けたものである。 その「何か」を一度見ておくことは、制度に振り回されないための、確かな足場になる。第5章では、その足場を一つずつ確かめていきたい。

目次

私立学校法という器

学校法人は、私立学校法に根拠を持つ。設立の要件、運営の枠組み、解散とその後の財産の行き先まで、この法律が器の輪郭を引いている。経営の自由は、何もない空間で行使されるのではなく、この輪郭の内側で動いている。ふだん意識しないのは、その輪郭があまりに当たり前に、足もとになじんでいるからである。

私立学校法の第一条は、この法律の目的を定めている。私立学校の特性にかんがみ、その自主性を重んじ、公共性を高めることによって、私立学校の健全な発達を図る。短い一文だが、ここに器の設計思想が凝縮されている。法は、自主性と公共性という二つの言葉で、学校法人という器の性格を示している。 この二つの言葉が、第5章を通じて何度も立ち返る軸になる。

自主性という原則

自主性とは、私立学校が私人の寄附財産などによって設立された存在であることに伴う、自律的に運営される性格をいう。誰かに命じられて設けられたのではなく、建学の精神という固有の意志から始まっている。その出発点の違いが、私立という言葉に重みを与えている。

だからこそ、私立学校には教育の独自性が認められ、その運営は基本的に法人自身の判断に委ねられる。所轄庁の関与も、国公立の学校に対するものとは異なり、抑制的に設計されている。校風や教育方針に、それぞれの学校の色がにじむのは、この自主性があるからである。自主性は、私学が私学であるための核である。 これを失えば、私立であることの意味そのものが、静かに薄れていく。

公共性という要請

一方で、私立学校もまた公教育の一翼を担っている。学ぶ場としての役割は、国公立の学校と変わらない。目の前の子どもや学生・生徒の教育という、社会にとっての公共財をあずかっている。私学であっても、そこで育つ一人ひとりは、社会全体の未来につながっている。

その公共性ゆえに、私立学校は税制上の優遇を受け、補助金の交付を受ける。公的な資源が投じられる以上、相応の規律が求められる。情報の公開、ガバナンスの整備、財務の健全性。これらは、自律の見返りに課される負担というよりも、公共性を引き受けたことの当然の帰結である。社会から預かったものに、社会へ応える。公共性は、自主性の裏側にある責任である。

自主性と公共性の均衡

この二つは、しばしば引き合う。自律を強く押し出せば、外からの統制は緩む。公共性を強く求めれば、自律の幅は狭まる。どちらか一方を徹底すれば、もう一方が痩せていく関係にある。両立は、放っておいて成り立つものではない。

私立学校法は、このどちらか一方に倒すのではなく、両者の釣り合いを設計している。完全な自由でも、完全な統制でもない、そのあいだのどこかに線を引く。そして、その線の位置は、固定されているわけではない。社会の要請が変われば、法改正によって均衡点は引き直されていく。私立学校法は、自主性と公共性のあいだに釣り合いを引く装置である。 次の記事で扱う改正も、この線をどこに引き直したのか、という話にほかならない。

制度を土台として読む

この均衡を出発点に置くと、以降の制度がつながって見えてくる。寄附行為は、その器の設計図である。改正は、均衡点の引き直しである。評議員会や監事の仕組みは、公共性を担保するための装置である。情報公開は、公共性が外に向かって現れる場面である。ばらばらに見える制度が、自主性と公共性という一本の軸のうえに並んでいく。

第5章では、これらを一つずつたどっていく。そのときに見失いたくないのは、制度が経営を縛るためだけにあるのではない、という視点である。器がなければ、そもそも学校法人として立つことができない。枠があるからこそ、その内側で自由に動ける。制度を、縛りとしてではなく前提として読むこと。 それが、この章を通じる姿勢である。

制度が何を守ろうとしているのか。その問いを胸の片隅に置いておくだけでも、日々の判断の手ざわりは少し変わってくるように思います。足もとの器がなぜこの形をしているのかを知ることが、制度に使われるのではなく、制度を使いこなしていくための第一歩になるのではないでしょうか。

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