少子化のせいだけにすると、見えなくなるもの
定員割れという言葉は、学校法人の経営において重い響きを持つ。入学者数が定員に届かなかった年は、決算書の数字だけでなく、教職員の表情や、校内の空気にまで影を落とす。職員室で交わされる会話の端々に、来年はどうなるのだろうという不安がにじむ。数字の問題であると同時に、そこで働く人たちの気持ちの問題でもある。
定員割れは、しばしば少子化と結びつけて語られる。子どもの数が減っているのだから、学校に通う学生・生徒も減る。それは確かに正しい。しかし、それだけで説明できるものでもない。ある学校では定員が満たされ続け、別の学校では割れている。同じ地域のなかでも、状況は静かに分かれていく。定員割れは、少子化という環境のなかで、それぞれの学校がどのような構造を持っているかを映し出す現象である。
数字の表れ
入学者数が定員を下回るという事実は、まず数字として現れる。授業料収入の減少。学生・生徒一人あたりに対する固定費の比重の上昇。短期的には、これらは財務指標の悪化として観察される。校舎も、教職員の数も、定員を前提に組み立てられているため、入学者が減っても費用はすぐには下がらない。そのずれが、数字を圧迫する。
しかし、定員割れの本当の重みは、その先にある。学校という組織は、学生・生徒がいて初めて機能する。減少が一年で終わるなら影響は限定的だが、複数年続けば、教育の質や組織の士気にまで波及していく。人が減れば、できることも、かけられる手間も、少しずつ削られていく。クラスが減り、開講できない科目が出て、担い手の足りない部署が生まれる。やがてそれは、ここで働き続けられるのだろうかという、教職員の不安にもつながっていく。数字の悪化は、組織の内側を静かにすり減らしていく。数字は、結果として現れたものでしかない。 その背後で何が動いているのかを見つめないまま対症療法を重ねても、本質には届かない。むしろ、目に見える数字だけを取り繕おうとすると、無理な値引きや安易な定員増へと走り、かえって構造をゆがめてしまうこともある。
少子化という環境
少子化が進行している。これは、ここ何十年も指摘されてきた事実である。出生数の減少は、十数年後の入学者数として、ほぼ確実に学校に到達する。来年その学校を受けうる年齢の子どもが何人いるかは、すでに何年も前に決まっている。少子化は、いわば予測のついた構造変化である。
しかし、予測がついていることと、備えられていることは別である。学校法人の多くは、少子化を「いつかは来るもの」として扱ってきた。頭ではわかっていても、まだ定員が埋まっているうちは、危機感は先送りされやすい。実際にそれが目の前の問題になったとき、組織がそれまでにどう構えてきたかが問われる。来ると分かっていた変化に、何を準備してきたのか。その答えが、定員割れの局面で表に出てくる。少子化は、すべての学校に等しく作用する環境要因である。だが、その影響の大きさは、学校ごとに大きく異なる。同じ風が吹いても、倒れる木と倒れない木があるのと同じである。違いを生むのは風の強さではなく、根の張り方のほうである。
内部構造の浮上
同じ少子化という環境のなかで、定員を満たし続ける学校と、満たせない学校が分かれる。この差を生むのは、もはや環境ではない。それぞれの学校が持つ、内部の構造である。
立地。教育内容。教職員の体制。卒業生との関係。地域との結びつき。これらの積み重ねが、学校としての魅力や安定性を形づくる。どれも一朝一夕には築けないものであり、逆に、長く手をかけてきた学校には、数字が苦しい年でも踏みとどまる底力がある。少子化が引いた背景の上に、各学校の内部構造が浮かび上がってくる。 定員割れは、外部要因と内部要因の重なりとして現れる現象なのである。少子化が平均値を下げているとしても、その平均から外れて踏みとどまる学校と、平均に飲み込まれていく学校がある。内部の構造をどう整えてきたか。それが、定員割れという現象の形を決めていく。環境を言い訳にできるのは、ある一点までである。そこから先は、自分たちが何を積み上げてきたかが、静かに問われることになる。
時間のなかでの積み重なり
定員割れは、一年だけの問題ではない。一年の割れは、収入の減少として現れる。複数年続けば、財務指標の継続的な悪化となる。さらに長くなれば、組織そのものの存続を脅かす。
時間の経過とともに、定員割れは性質を変えていく。短期的には経営上の課題であり、中期的には組織再編の論点となり、長期的には統廃合や退場の判断につながっていく。同じ「定員割れ」という言葉でも、一年目と五年目とでは、その意味の重さがまるで違う。一年目は「たまたま」で済ませられても、それが続けば「構造」として認めざるをえなくなる。そして、認めるのが遅れるほど、打てる手は限られていく。早い段階で構造の問題として向き合えるかどうかが、その後の選択肢の幅を大きく左右する。持続性とは、こうした時間の経過のなかで、学校が自らをどう保つかという問いでもある。定員割れは、その問いのもっとも鋭い現れの一つである。
構造として読むこと
少子化は止められない。だが、そのなかで学校がどう立つかは、各学校の選択である。定員割れという現象を外部環境のせいだけにしてしまえば、内部の構造を見直す貴重な機会は失われる。仕方がないという言葉は、ときに考えることをやめる口実になってしまう。
定員割れの背後にある構造を静かに見つめることから、学校法人の持続性の議論は始まる。それは、補助金にもつながり、特定資産にもつながる、長い時間の問題である。入学者が減れば学費収入が減り、補助金の算定にも響く。それが将来への備えである特定資産の積み増しを難しくし、めぐりめぐって組織の持続性を細らせていく。定員割れは、そうした連鎖の入口に立っている。第3章で見てきた外部環境の話と、第4章で見ている持続性の話は、この定員割れという一点で、はっきりと交わる。外を見る目と、内を整える手の、両方がここで試される。
定員割れの数字に一喜一憂するだけでは、その先へは進めません。その数字が何の現れなのかを、外と内の両方から静かに読み解こうとするとき、定員割れははじめて、嘆きの対象から問い直しの起点へと変わっていくのではないでしょうか。
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