少子化は構造問題か環境問題か

両サイドに石造りの柱と緑。その中を通る石畳の回廊

同じ少子化のなかで、なぜ法人ごとに差が開いていくのか

少子化という言葉を、これまで何度耳にしてきただろう。職員会議の資料にも、理事会の説明にも、毎年のように同じ三文字が並ぶ。示される数字は年を追って重くなり、グラフの線は右へ下りていく。打つ手がまったくないわけではないと分かっていても、人口そのものの減りようを前にすると、自分たちにできることの小ささばかりが目についてしまう。

学校法人にとって、少子化は避けがたい現実である。18歳人口の減少は統計の上で明らかであり、地域によってはその影響がすでに募集の数字に表れている。問題は、それをどう受け止めるかにある。外部環境の変化として受け止めるのか、それとも内部構造の問題として考えるのか。同じ現実を前にしても、立つ位置によって見える景色は変わってくる。

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少子化という環境

少子化は、確かに外部の要因である。

出生数の推移も、地域の人口動態も、一つの法人が机の上で動かせるものではない。来年の18歳が何人になるかは、すでに18年前に決まっている。どれだけ熱心に説明会を開いても、どれだけ理念を磨いても、母数そのものを増やすことはできない。その意味で、少子化はまぎれもなく「環境」である。

ここを曖昧にしたまま議論を始めると、組織は静かに疲れていく。動かせないものを動かせるかのように扱えば、達成されない目標が毎年積み重なり、現場には徒労感だけが残る。前年度より高い募集目標が下りてきて、その根拠を尋ねても明確な答えが返ってこない。そんな経験に覚えのある人は少なくないだろう。届かないと分かっている数字を追い続けることほど、人の気力を削るものはない。逆に、環境としての性質を正面から認めることは、あきらめではない。それは、力を注ぐべき場所を見定めるための、最初の整理である。動かせないものを動かせないと認めて初めて、動かせるものの輪郭が見えてくる。

少子化は、まず環境として受け止める必要がある。 そのうえで、ではこの環境のなかで自分たちに何ができるのかと問い直すとき、議論はようやく前を向きはじめる。

同じ環境のもとの差

ところが、同じ環境のもとにいても、影響の受け方は法人によってずいぶん違う。

人口が減っているはずの地域で、志願者数を保ち続ける法人がある。一方で、想定より早く定員割れに近づいていく法人もある。志願してくる生徒の顔ぶれが変わっていく法人もあれば、苦しい年が続いてなお地域からの信頼を厚くしていく法人もある。同じ統計のなかにいながら、結果はひとつに揃わない。

この違いは、どこから生まれるのか。外部環境が同じである以上、その答えを環境のなかに探しても見つからない。環境が同じであれば、差を生むのは構造である。

教育の中身に、その学校ならではの特色がはっきりとあるか。掲げた理念と日々の実践とが、どこかで結びついているか。物事を決めるべき場面で、意思決定が滞らずに進むか。財務の基盤は、入学者の増減という揺れに耐えられる設計になっているか。これらはいずれも、外からの風ではなく、内側の骨組みの話である。同じ外部環境のもとで結果に差を生むのは、こうした構造の側なのである。

環境と構造の切り分け

ここで気をつけたいのは、振り子が一方に振れすぎることである。

少子化を環境問題としてのみ語ると、議論はどうしても悲観やあきらめへ傾いていく。「人口が減るのだから仕方がない」という言葉は、事実の一面を確かに捉えている。だが、そこで話を終えてしまえば、内部の設計を見直す機会まで一緒に手放すことになる。仕方がないという結論は、ときに考えることをやめるための便利な口実になってしまう。

逆に、すべてを内部構造の問題として引き受けるのも、現実から離れている。「努力さえすれば人口減少の影響は消せる」という前提は、現場に過剰な負荷をかける。届かない理想を掲げ続ければ、達成できないのは努力が足りないからだという話になり、疲弊だけが深まっていく。環境のせいにしすぎる組織が手を止めてしまうのと同じように、構造の力を信じすぎる組織は、人を追い詰めてしまう。どちらも、見ているべきものの半分しか見ていない点では変わらない。

大切なのは、どちらか一方に寄りかかることではない。環境と構造を切り分けながら、その接点を見つめることである。どこまでが自分たちには動かせない外部の要因で、どこからが自分たちの設計に関わる問題なのか。その境界を見定めないまま議論を進めれば、話はいつまでも焦点を結ばない。

環境と構造のあいだ

人口減少そのものを制御することはできない。けれども、その影響の受け方は、設計によって確かに変わる。

募集のエリアをどこまで広げ、どの層に向けて声を届けるのか。その学校が積み上げてきた強みを、受け手にどう伝えるのか。現場で生まれた判断を、組織としてどれだけ柔軟に拾い上げられるのか。同じ志願者数の減少という数字を見ても、ある法人はそこから打ち手を組み立て、別の法人は同じ数字の前で立ちすくむ。差を分けているのは、危機感の強さではなく、その危機を受け止める設計があるかどうかである。これらはどれも、人口動態の外側にある、設計の問題である。影響の受け方は、設計によって変わる。

少子化は、学校法人にとって試練であると同時に、自らの設計を問い直す契機でもある。環境を理由に内部の課題から目をそらすことも、内部の努力を過信して環境を軽く見積もることも、どちらも判断をゆがめる。環境のせいにしすぎれば手は止まり、構造の力を過信しすぎれば現場が傷む。

だからこそ、環境と構造のあいだに立つことが要る。どこまでが外からの風で、どこからが自分たちの骨組みの話なのか。その線を一本引けるかどうかが、これから先の持続性を考えるうえで、避けて通れない分かれ目になる。

内部の設計から

少子化は止められない。けれども、構造は見直すことができる。

外部環境を嘆くより先に、自らの設計を静かに確かめてみる。それが、第3章でこれから扱っていく一連の論点の出発点である。競争とは何を競っているのか。ブランドとは何を指すのか。統廃合は失敗を意味するのか。外部評価は内部を変えるのか。権限委譲はどこまで進められるのか。いずれの問いも、外部環境との関わりのなかで、内部構造のどこを問い直すべきかを照らし出していく。

少子化という大きな環境のなかで、それでも法人ごとに差が開いていくのは、動かせない風のせいだけではありません。動かせる部分が、確かに残されているからです。その動かせる部分を見つけ直すところから、外部環境との関係を、もう一度静かに見つめていきたいと思います。

環境のせいにする手前で立ち止まれるかどうかに、これからの設計がかかっています。

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