終わりの物語ではなく、再設計の選択として
学校法人の運営をめぐる議論のなかで、「統廃合」という言葉が出てくることがある。学部や学科の再編、学校の統合、法人同士の合併。こうした動きが報じられると、それはたいてい重い出来事として受け止められる。長く通った校舎がなくなる、慣れ親しんだ校名が変わる。当事者にとっては、数字の話では片づけられない感情がそこにある。
だからこそ、その結果に「成功だったのか」「失敗だったのか」という評価がつきまといがちである。けれども、統廃合という出来事を、単純な成功や失敗の枠組みだけで捉えることは、必ずしも適切ではない。 勝ち負けの言葉で語った瞬間に、こぼれ落ちてしまうものがあるからである。
統廃合は結果ではなく手段
まず確かめておきたいのは、統廃合が結果ではなく、経営判断の一つの形だということである。
学校法人は、教育活動を続けていくために、多くの資源を必要とする。人の力、教育の蓄積、財務の基盤。これらをどう配置し、どう活かしていくのかは、いつの時代も経営上の課題であり続ける。環境が変われば、資源の置き方もまた問い直される。統廃合は、その見直しの一つの方法として現れることがある。
ここで誤解しやすいのは、資源の見直しがそのまま縮小を意味するわけではない、という点である。二つを一つにまとめることが、撤退ではなく、力を一点に集めるための再配置であることもある。分散していた教員や予算を寄せ集めることで、それまで手が回らなかった分野に本腰を入れられるようになる、という場合もある。規模が小さくなったように見えても、教育の中身はむしろ濃くなる、ということも起こりうる。大切なのは、その判断が縮こまる方向を向いているのか、それとも力を集め直す方向を向いているのか、という違いである。同じ「統廃合」という言葉でも、その中身は正反対のことがある。
背景にある環境と構造
統廃合が議論される背景には、いくつもの要因が重なっている。
人口減少による募集環境の変化。学びの分野の多様化。財務構造の見直し。これらが折り重なって、組織の形そのものを考え直さざるをえない局面が生まれてくる。どれか一つが原因というより、複数の流れが同じ時期に押し寄せて、判断を迫ることが多い。
学校法人は、教育機関であると同時に、一つの組織でもある。教育の理念を守りながら、組織としての持続性も考え続けなければならない。その両方を見ようとするとき、統廃合は組織の規模の問題というより、資源をどこに置き直すかという問題として立ち上がってくる。どの分野に力を注ぐのか。どの地域で教育を続けるのか。どんな体制で運営するのか。そうした問いへの答えとして、組織の形が変わることがある。外部環境への対応は、いつのまにか、自分たちの形そのものを問い直す問いになっていく。
組織文化と再設計
統廃合は、単なる組織再編ではない。
学校には、それぞれの歴史や文化がある。掲げてきた理念、教職員が積み上げてきた経験、卒業生とのつながり。そうした目に見えない積み重ねが、学校の姿を形づくっている。統廃合の過程では、この文化や歴史をどう引き継ぐのかが、思いのほか難しい問いになる。校歌をどうするか、行事をどう残すか。一見ささいに見えることに、人の思いが宿っているからである。
組織の形を変えること自体は、比較的短い期間で実現できる。規程を書き換え、看板を掛け替えれば、形のうえでは新しい組織が立ち上がる。けれども、二つの組織文化が一つに馴染むには、もっと長い時間がかかる。これまで別々のやり方で動いてきた人たちが、同じ職員室で机を並べる。会議の進め方も、生徒への声のかけ方も、少しずつ違う。その小さな違いの一つひとつに、それぞれの学校が大切にしてきたものが宿っている。この点において、統廃合は制度の変更というよりも、組織の再設計である。 制度は告知や規程で動かせても、文化は人と日々の運用のなかで、少しずつしか変わっていかない。その時間差を見くびると、形だけ一つになって心は二つのまま、という状態が残ってしまう。だからこそ、急いで一つにそろえようとするより、違いを認めながら少しずつ重ねていく姿勢のほうが、結果として早く馴染むこともある。
評価の視点
統廃合が語られるとき、その評価はどうしても結果の数字に集まりやすい。
志願者数は増えたのか。財務は改善したのか。こうした指標は、確かに重要である。これらを見ずに語ることはできない。けれども、それだけでは、統廃合の意味を十分に説明することはできない。数字が良くても現場が疲弊していることもあれば、数字が地味でも組織が落ち着きを取り戻していることもある。
教育の理念は、どのように受け継がれたのか。教育の中身は、どう変わったのか。新しい組織としての一体感は、育ちつつあるのか。こうした視点もまた、統廃合を理解するうえで欠かせない。 結果の指標と理念の指標、その両方がそろって初めて、統廃合の意味は見えてくる。どちらか一方だけでは、判断はかならず偏る。数字だけを見れば成功に見える統合が、現場では理念の断絶を残していることもある。逆に、数字の上では地味でも、教職員が新しい組織に誇りを持ちはじめている統合もある。そのどちらを「成功」と呼ぶのかは、何を測るかによって変わってくる。
終わりではなく始まり
統廃合は、学校の終わりとして語られることが多い。何かが失われる出来事として受け止められ、そこには確かに惜しむべきものがある。その感情を軽んじるべきではない。
けれども、見る角度を少し変えれば、それは新しい組織の始まりでもある。 教育資源を置き直し、組織の形を見直し、これからの教育のあり方を探っていく。統廃合は、そうした再設計の途中に現れる、一つの選択肢なのである。失われたものを丁寧に見送ることと、新しく始まるものに目を向けること。その両方を抱えられるかどうかで、同じ統廃合でも、その後の歩みはずいぶん変わってくる。閉じる痛みを否定せず、それでも次の一歩を設計する。そこに、終わりを始まりへと変えていく余地がある。
成功か失敗か、という問いに先回りするよりも、どのような理念と設計のもとでそれが行われたのかに目を向けること。そのほうが、学校法人の構造を理解する手がかりになります。統廃合は、終わりと始まりのあいだに置かれた選択であり、その意味は、これからどう歩むかによって、後から書き加えられていくものなのだと思います。問われているのは、閉じたか開いたかではなく、その先にどんな学びの場を育てていくのかなのではないでしょうか。
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