私学における「競争」とは何か

暗いアーチから見える石畳の向こうにアーチ型の入り口

勝ち負けではなく、選ばれる理由の積み重ねとして

私学の経営を語る場面で、「競争」という言葉が当たり前のように使われる。志願者をいかに集めるか、他校にどう差をつけるか。会議でそうした話が出るたびに、どこかで小さな引っかかりを覚えた人もいるのではないだろうか。教育の仕事をしているはずなのに、いつのまにか勝ち負けの土俵に立たされているような、あの感覚である。

志願者数の増減、学生・生徒募集の強化、学部や学科の再編。こうした動きを説明するとき、私学は競争のなかに置かれていると言われる。言葉そのものは間違っていない。けれども、その引っかかりも、たぶん間違ってはいない。教育は市場なのか。学校は企業と同じように競争しているのか。 この問いは、思うほど簡単には答えが出ない。

目次

競争という現実

まず認めておきたいのは、私学が現実に一定の競争環境のなかにあるということである。

志願者数は学校ごとに異なり、地域や分野によって募集の状況は大きく変わる。教育内容を見直し、広報を強化し、新しいコースを設ける。そうした取り組みは、いやおうなく他校との比較のなかで受け止められる。隣の学校の出願者が増えたと聞けば気になり、自校の数字が落ちれば理由を探す。その意味で、私学の世界に競争が存在することは否定できない。

ただし、それは企業の市場競争とそっくり同じ構造ではない。同じ「競争」という言葉でくくられていても、その中身には、企業の市場競争にはない要素がいくつも重なっている。引っかかりの正体は、たぶんそのあたりにある。言葉だけを企業経営から借りてくると、本来は別の論理で動いているはずの学校の営みが、いつのまにか売上や占有率と同じ尺度で語られてしまう。その尺度の取り違えが、現場に小さな違和感を残すのである。

私学の競争の特殊性

企業の競争は、おおむね市場のなかで完結する。価格、品質、ブランド。最終的には顧客の選択によって勝敗が決まり、選ばれなければ退場する。仕組みとしては、わかりやすい。

一方、私学にはそれだけでは説明しきれない要素がある。教育理念があり、公共性があり、地域社会との長い関係があり、そして補助金という制度的な支えがある。これらは学校を、単なる市場の主体とは別の存在にしている。利益だけを最大化すればよいのなら、手放すべきものはいくつもあるはずだ。それでも手放さないのは、学校が市場の論理だけでは動いていないからである。

私学は、完全な市場のなかで活動しているわけではない。 教育という公共的な役割を担いながら、同時に学生・生徒募集という生々しい現実とも向き合っている。その二重性こそが、私学の競争を一筋縄ではいかないものにしている。市場の論理だけで割り切ることも、市場の論理を完全に締め出すことも、どちらも現場の実感からは外れてしまう。

競争の本質

そう考えていくと、私学における競争は、単純な勝ち負けではないことが見えてくる。

志願者数の増減は、結果のひとつに過ぎない。その数字の背後には、いくつもの要因が静かに重なっている。教育内容にその学校らしい特色があるか。掲げた理念と日々の実践が、どこかでつながっているか。教職員のあいだに、共有された組織の文化があるか。地域との関係を、長い時間をかけて育ててきたか。こうした要素が折り重なって、ようやく一つの学校の輪郭ができあがる。

受験生やその家族が一つの学校を選ぶとき、そこには必ず「なぜこの学校なのか」という理由がある。パンフレットの華やかさや、その年だけの目立つ施策で動く家庭もあるだろう。けれども、長く選ばれ続ける学校には、たいてい派手さとは別のところに芯がある。卒業生が我が子を通わせたくなる、地域の人がこの学校ならと口添えをする。そうした静かな信頼は、一年の広報では積み上がらない。競争とは、その理由がどこにあるのかを問い続ける過程でもある。 誰かを打ち負かすことではなく、選ばれる理由を一つずつ積み重ねていくこと。そこに目を向けたとき、競争という言葉は少し違って見えてくる。

外部環境と内部構造

少子化という環境の変化のなかで、競争はいっそう強く意識されるようになっている。

志願者数が減れば、学校は外部環境の厳しさを肌で感じる。けれども、前の記事で見たとおり、環境が同じであっても、その影響の受け方は法人ごとに異なる。教育内容の設計、意思決定の速さ、組織としての一貫性。そうした内部構造のありようが、同じ環境とどう向き合えるかを左右していく。

競争を外部からの圧力としてだけ眺めていると、議論はどうしても防御的になる。攻めてくる相手から自分たちをどう守るか、という話になりがちである。近隣の学校が新コースを設ければ慌てて似た企画を立て、他校が広報を強めれば自校も追随する。そうして相手に合わせて動いているうちに、その学校が本来大切にしてきたはずの軸が、少しずつ薄れていくことがある。一方で、視線を内部の設計のほうへ向け直すと、見えてくるものが変わる。守るべき弱点ではなく、磨きうる強みのほうに焦点が移っていく。外部環境と内部構造の両方を視野に入れること。それが、競争を冷静に考えるための起点になる。

競争をどう捉えるか

競争は、恐れるべきものなのか。それとも、積極的に追い求めるべきものなのか。

おそらく、どちらか一方に寄る必要はない。競争は、外部環境の一部に過ぎない。それを過剰に強調することも、逆に見て見ぬふりをすることも、いずれも現実を単純にしすぎてしまう。煽られて疲れるのも、目を背けて手遅れになるのも、どちらも避けたい。

大切なのは、競争という言葉の背後にある構造を見ることである。その学校がどのような理念を持ち、どのような教育を行い、どのような組織として運営されているのか。その積み重ねが、結果として選ばれる理由を形づくっていく。外部環境は変えることができない。しかし、環境との向き合い方は設計することができる。 動かせない風を嘆くのではなく、その風のなかで自分たちの帆をどう張るかを考える。それが、構造に目を向けるということである。

競争を、ただの勝ち負けとしてではなく、自分たちの学校の構造を見つめ直す契機として受け取れるかどうか。そこに、これからの私学経営を静かに支える一つの視点があるように思います。勝ち負けの数字に一喜一憂する手前で、選ばれる理由をどこに積み上げていくのか。問われているのは、競争に勝つ方法ではなく、選ばれ続けるだけの中身をどう育てるかなのだと思います。

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