理事会と現場の温度差はなぜ生まれるのか

石造りのアーチ型の回廊

理事会が終わったあとの、あの感覚を知っているだろうか。将来の収支を見据えた重い議論が交わされ、必要な方針が決まる。けれど、その内容が現場に届いたとき、どこかで小さなため息が漏れる——また仕事が増える、と。同じ法人のなかにいながら、見ている景色が違う。理事会と現場のあいだに横たわる「温度差」は、多くの学校法人が、言葉にしないまま抱えているものではないだろうか。

将来を見据えた議論と、日々の教育実践。財務の安定と、目の前の学生・生徒への対応。どちらが正しい、という話ではない。問いたいのは、この温度差が、誰かの資質や努力の不足から生まれているのか、ということである。本稿では、それを対立の構図としてではなく、組織の構造として整理してみたい。温度差は、人の問題に見えて、その多くは構造から生まれている。

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時間軸の違い

理事会は、法人全体の持続可能性を担う機関である。中期計画、財務の推計、将来の定員動向。三年後、五年後、あるいはそれ以上先を視野に入れて、判断を重ねていく。

一方、現場が見ているのは、もっと近い時間である。今日の授業、今学期の募集、今年度の評価。目の前の学生・生徒や保護者との関係が、日々の優先事項になる。理事会が数年先の収支改善を論じている同じ時間に、現場は今週の業務をどう回すかを考えている。見ている時間の長さが違えば、何を重く受け止めるかも、自然に変わる。 どちらも組織にとって欠かせない視点であり、だからこそ、時間軸が異なる以上、温度の違いはおのずと生まれてくる。

情報の非対称性

理事会は、法人全体の財務状況や外部環境の変化を俯瞰している。将来推計、資産の状況、補助金の動向、制度改正の影響。全体像を前提に、議論が進む。

一方で、現場は別の情報を握っている。学生・生徒の学習の様子、保護者の声、業務の逼迫感、教職員の疲労や不安。それらは、数字には表れにくい情報である。だから、理事会が「まだ大きな問題はない」と判断している局面で、現場は「すでに限界に近い」と感じている、ということが起こる。ここにあるのは能力の差ではなく、持っている情報の種類の違いである。 同じ組織のなかにいても、見えている現実は一様ではない。どちらかが正しく、どちらかが間違っているわけでもない。

意思決定と実行の距離

学校法人では、意思決定と実行が分かれている。理事会が方向性を決め、現場がそれを具体的な行動に落とし込む。この構造そのものは、特別なものではない。多くの組織に共通する形である。

ただ、決定と実行の距離が広がると、温度差は大きくなる。たとえば、新しい施策が決まったとき。理事会にとっては将来を見据えた必要な判断であっても、現場にとっては、業務の追加や負担の増加として受け止められることがある。そのとき、双方の意図が十分に共有されていなければ、残るのは「理解されていない」という感覚だけになる。これは誰かの善意や努力の問題ではなく、構造の上で起こりやすい現象である。 距離があること自体が悪いのではない。距離があると知らないまま運ぶことに、すれ違いの芽がある。

「共有」の本質

理事会と現場の温度差を語るとき、「共有」という言葉がよく使われる。情報の共有が足りないのか。方針の共有が不十分なのか。あるいは、責任の共有が曖昧なのか。

しかし、共有とは、資料を配布することではない。同じ言葉を口にすることでもない。意思決定の背景や制約条件が理解され、そのうえで、それぞれの立場で納得できる形に翻訳されること。共有とは、配ることではなく、それぞれの立場の言葉に翻訳されることである。 そこまで届いて、はじめて「共有された」と言えるのかもしれない。配ったはずなのに伝わらない、というもどかしさの多くは、この翻訳の一手間が抜けているところから来ている。

異なる景色という前提

理事会と現場の温度差は、対立から生まれるとは限らない。時間軸の違い、情報の非対称性、意思決定と実行の距離。こうした構造がいくつも重なった結果として、自然に生まれてくるものでもある。

だとすれば、大切なのは、温度差そのものを否定したり、なくそうと急いだりすることではない。それがどこから生じているのかを、静かに見つめることである。同じ法人のなかで、互いに違う景色を見ているかもしれない——その可能性を前提に置くだけで、議論の口調は少し変わる。相手が見ている景色を、いちど想像してみる。その小さな一歩から、理事会と現場のあいだの風通しは、静かに変わりはじめるのかもしれません。

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