※本記事は、学校法人の経営構造を基礎から整理する連続記事の一部です。
多くの学校法人には、中期計画が存在します。
五か年計画、経営改善計画、将来構想ビジョン。
丁寧な議論を経て策定され、理事会の承認を受け、冊子やデータとして整えられる。
しかし。
それは、日々の意思決定や現場の行動に、どの程度まで接続しているでしょうか。
計画が「存在していること」と、「機能していること」は、必ずしも同じではありません。
本稿では、中期計画を批判するのではなく、
“なぜ計画が機能しにくい構造になるのか”を静かに整理してみたいと思います。
1.数字と現場が接続していない
中期計画には、財務目標が掲げられます。
経常収支差額の改善、定員充足率の向上、資産の健全化。
いずれも重要な指標です。
しかし、その数字は、
日々の教務運営、募集活動、広報施策、人事配置と、どのように結びついているでしょうか。
数値目標は掲げられている。
けれども、その達成のための行動が、部署単位や個人単位にまで翻訳されていない。
すると、数字は「報告のためのもの」になりやすくなります。
本来、数字は管理のためにあるのではなく、行動を変えるためにあります。
その接続が曖昧なままでは、計画は“方向性の宣言”にとどまります。
2.単年度主義との時間軸のズレ
学校法人の運営は、単年度予算を軸に回っています。
補助金も、決算も、評価も、基本は年度単位です。
人事評価も、多くは一年単位で完結します。
一方で、中期計画は三年、五年という時間軸で描かれます。
ここに、静かなズレがあります。
単年度で評価される組織の中で、
複数年の視点を持ち続けることは、思っている以上に難しい。
目の前の入学者数、今年度の収支、当面の人事課題。
それらが優先されるのは、自然なことです。
その結果、中期計画は「参照されるが、主軸ではない」文書になります。
これは意欲の問題ではなく、構造の問題です。
3.「作ること」が目的化する
中期計画は、多くの場合、外部との関係の中で求められます。
認証評価、補助金要件、理事会説明責任。
計画は、説明可能性を担保するための重要な文書です。
しかし、外部提出や承認が主目的になると、
策定プロセスに力が注がれ、運用フェーズが曖昧になることがあります。
丁寧に作られた計画書が、
数年後、ほとんど開かれていない。
それは珍しい光景ではありません。
計画策定の労力は大きい。
だからこそ、「作った」という達成感で一区切りがついてしまう。
ここにも、責任の所在が不明確になる構造があります。
4.計画は、誰のものか
計画は、理事会のものでしょうか。
それとも、法人本部のものでしょうか。
管理職のものでしょうか。
全教職員のものでしょうか。
この問いに、即答は難しいかもしれません。
計画が「共有されている」と言える状態とは、
内容を知っていることではなく、
意思決定の拠り所になっていることです。
人事配置、予算配分、事業の優先順位。
そうした場面で、自然に参照されるものであれば、
それは機能していると言えるでしょう。
もしそうでないなら、
計画は“存在している”が、“動いてはいない”のかもしれません。
終わりに
中期計画が機能しない背景には、
能力不足や意欲不足よりも、構造的な要因が存在します。
数字と行動の断絶。
単年度主義との時間軸のズレ。
策定と運用の分離。
これらを一つひとつ静かに見つめ直すことが、
計画を批判することよりも、はるかに建設的です。
計画は、掲げるものではなく、使うもの。
その前提に立ったとき、
組織の見え方は、少しだけ変わるかもしれません。
