危機は突然ではない

石造りのアーチ道 向こうには緑

― 学校法人が静かに傾く5つの兆候 ―

学校法人の経営が揺らぐ瞬間は、外から見ると「突然」に映ることが多い。だが、学校の内側で日々を過ごしてきた人なら、どこかで感じていたのではないだろうか。何かが少しずつ、ずれてきている、という感覚を。

入学式の会場に、去年より目立つ空席。「来年でいい」と先送りされた設備の更新。議案がひととおり承認されたあと、会議室にわずかに残る沈黙。一つひとつは小さく、わざわざ口に出すほどでもない。だが、確かにそこにあった。

危機は、ある日いきなり訪れるのではない。静かに、段階を踏んで進んでいく。問題は、兆候がなかったことではない。兆候が、言葉にされなかったことである。 誰かが薄々気づいていても、それを口にできる場がなければ、兆候はただ通り過ぎていく。

この回では、学校法人が傾きはじめるときに現れやすい五つの兆候を整理する。どれも、特別な分析がなければ見えないものではない。むしろ、日々その場にいる人ほど、先に気づいているものばかりである。気づいていながら、確信が持てず、口にするのをためらってきた——そういう種類のものである。

教室で学生・生徒と向き合い、窓口で保護者や地域に応じ、日々の実務を回しているのは教職員である。だからこそ、組織の体温がわずかに下がったことを、誰よりも早く肌で感じているのも、また教職員だ。その感覚は、経営の数字に表れるより先に訪れる。気のせいだと片づけてしまうには、惜しいものである。

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定員充足率の慢性的低下

18歳人口は1992年の約205万人をピークに減り続け、いまはその半分ほどまで縮んでいる。市場そのものが小さくなっている以上、定員の未充足は、誰かの努力不足というより、構造的なリスクとして起きる。

単年度の未達は、まだ問題ではない。気をつけたいのは、充足率が三年以上続けて九割を下回り、それでも改善策の効果が検証されず、原因の分析が「少子化だから」で止まってしまうときである。定員割れが常態として受け流されはじめると、財務の余力は静かに削られていく。危機は、まず数パーセントの差から始まる。

財務見通しの楽観と議論の浅さ

将来の収支見通しに、「改革の効果を見込む」という前提が増えはじめたら、少し立ち止まりたい。

改革そのものが悪いのではない。問題は、その効果をどう確かめるのかが曖昧なまま、前提として数字に組み込まれてしまうことである。議論は深まらず、反論は出にくくなり、分厚い資料が形式的に承認されていく。前年の数字をなぞるだけの説明に、誰も異を唱えないまま会議が終わる——そんな光景に、見覚えはないだろうか。赤字そのものは、すぐに致命傷になるわけではない。だが、赤字を直視しない姿勢は、致命的である。 財務の問題は、数字の問題である前に、意思決定の問題でもある。

中堅層の退職

組織の持続を支えているのは、中堅層である。実務を回し、若手を育て、経営の方針と日々の仕事のあいだをつなぐ。表には出にくいが、組織の体力そのものを担っている人たちだ。この層が続けて辞めていくとき、組織は静かに力を失っていく。引き継ぎは形のうえでは済んでも、その人が抱えていた判断の勘どころや人とのつながりまでは、簡単には渡らない。

退職の理由は、たいてい穏やかに語られる。「キャリアのため」「家庭の事情で」。角の立たない言葉の奥に、将来像の見えなさが横たわっていることは、少なくない。送別の挨拶を聞きながら、本当の理由はもう少し別のところにあるのではないか、と感じた経験のある人もいるだろう。人の動きは、数字よりも早く兆候を示す。

意思決定の集中と沈黙

意思決定が特定の人物や少数の層に集まると、組織は一見、安定して見える。会議は円滑に進み、議案は滞りなく通っていく。だが、いつのまにか発言は減り、異論は会議室ではなく、その外の廊下や席で語られるようになる。決まったことに表立って反対はしないが、心の底では納得していない——そうした空気は、議事録には残らないが、確実に組織の動きを鈍らせていく。

健全な組織は、ほどよく騒がしいものである。意思決定をめぐる声が一つも上がらなくなったとき、その静けさは、成熟ではなく硬直かもしれない。 どれだけ率直な声が交わされているかは、組織の健全さを測る、目立たないが確かな指標である。

外部接点の縮小

競争が厳しさを増すほど、地域や卒業生、保護者との接点は重みを増す。

にもかかわらず、情報発信が止まり、地域との連携が細り、同窓会の活動が形だけになっていく——そうした兆候が見えるとき、組織は知らないうちに内向きになっている。外との接点が弱まると、自分たちへの評価は、対話ではなく憶測に置き換わっていく。選ばれる理由は、内側で完結するものではなく、外との関わりのなかで少しずつ形づくられるものである。内を向いた組織は、変化に脆い。

累積として読む視点

学校法人の危機は、ある日突然訪れるのではない。空席、楽観、退職、沈黙、断絶——その一つひとつが、少しずつ積み重なった結果である。

冒頭で「兆候は言葉にされなかった」と書いた。なぜ、気づいていたはずの兆候が、言葉にならないのか。波風を立てたくないから。自分の役目ではないと感じるから。口にしても、どうせ変わらないと諦めているから。理由はさまざまだが、いずれも個人の弱さというより、声を上げにくい構造の問題である。そして最初に違和感を覚えるのは、たいてい数字を扱う部署よりも、教室や窓口で日々を過ごす人のほうだ。その気づきが拾われる回路を持つ組織は、兆候を早い段階で言葉に変えられる。

だからこそ、これらを他人事として眺めるのではなく、自分の組織のいまを知ろうとする姿勢が要る。財務諸表を一度ていねいに読む。中期計画を確かめる。数字の前提を疑ってみる。それは、経営層だけの仕事ではない。教室や事務室から見える景色を、教職員一人ひとりが言葉にしていく。専門の分析でなくてかまわない。その素朴な一言が、組織が自分の状態に気づくための、確かな出発点になる。組織に関わる一人ひとりが、構造を理解しようとすること。持続は、そこからしか始まらない。

冒頭で触れた小さな違和感を、もう一度思い出してほしい。あの空席も、あの沈黙も、たぶん気のせいではなかった。兆候は、誰かがそれを口にしたとき、はじめて組織みんなのものになる。そして最初の小さな引っかかりを覚えるのは、たいてい、その場所をいちばん大切に思っている人である。あなたが今日感じている小さな違和感こそ、危機を静かにほどいていく、最初の糸口かもしれない。

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