※本記事は、学校法人の経営構造を基礎から整理する連続記事の一部です。
学校法人の経営をめぐって、「ガバナンス」という言葉を耳にする機会は少なくありません。
不祥事の報道の際にも、制度改正の議論の中でも、
あるいは内部の会議資料の中でも、この言葉は頻繁に登場します。
しかし、その意味は常に明確でしょうか。
監督機能の強化を指すのか。
コンプライアンス体制の整備を指すのか。
理事会の権限を強めることを指すのか。
言葉が広く使われるほど、その輪郭は曖昧になります。
本稿では、学校法人におけるガバナンスを、批判や制度論としてではなく、
経営構造の一部として整理してみたいと思います。
1.ガバナンスは「監視」だけではない
ガバナンスというと、
誰かを監督し、問題が起きないように管理する仕組み、という印象を持たれがちです。
確かに、監事の監査や規程整備、理事会のチェック機能は重要です。
しかし、それだけではガバナンスの全体像とは言えません。
学校法人は、教育という公共性の高い活動を担いながら、
同時に持続可能な経営を維持しなければならない組織です。
その中でガバナンスは、
単なる「監視」ではなく、意思決定と責任の構造そのものを形づくる仕組みでもあります。
2.意思決定の正統性
第一に重要なのは、
誰が、どの権限で、何を決めるのかという点です。
理事会の決議事項と、管理職の専決事項。
法人本部と各設置校の役割分担。
理事長や学長・校長の権限範囲。
これらが明確であることは、単なる形式の問題ではありません。
権限の所在が曖昧であれば、
決定はなされても、その正統性が共有されにくくなります。
「なぜその判断なのか」という問いに、
構造として答えられるかどうか。
それがガバナンスの一側面です。
3.情報の透明性
第二に、情報の流れです。
理事会が持つ情報と、現場が持つ情報。
財務に関する情報と、教育活動に関する情報。
前稿で触れたように、
組織内には情報の非対称性が自然に存在します。
問題は、情報量の差そのものではなく、
どの情報が共有され、どの情報が見えないままになっているのか、という構造です。
意思決定の背景が十分に説明されないとき、
現場には「突然決まった」という印象だけが残ります。
逆に、現場の状況が理事会に届かないとき、
経営判断は実態から乖離する可能性があります。
情報の透明性は、信頼の前提条件です。
これもまた、ガバナンスの重要な要素です。
4.責任の所在
第三に、責任の構造です。
学校法人は、設置者と運営主体が同一法人の中にあります。
理事、管理職、教職員が同じ組織に属しながら、役割は異なります。
意思決定の結果に対して、
誰がどの範囲で説明責任を負うのか。
責任の所在が明確であれば、
議論は落ち着きを持ちます。
しかし、責任が曖昧なままでは、
問題が生じた際に、個人の資質や姿勢の問題へと議論が流れやすくなります。
本来は構造の問題であっても、
個人の問題として処理されてしまう。
その状態は、健全とは言い難いでしょう。
5.私学特有の難しさ
学校法人には、企業とは異なる側面があります。
建学の精神という理念的基盤。
歴史の積み重ね。
地域や同窓会との関係。
これらは組織の強みでもありますが、
同時に意思決定や責任構造を複雑にする要素にもなります。
理念と経営のバランス。
伝統と改革の間での判断。
ガバナンスは、単に規程を整えることではなく、
こうした要素を含めて、持続可能性を支える構造であると言えるかもしれません。
終わりに
ガバナンスは、統制のための仕組みでしょうか。
それとも、組織の持続性を担保するための構造でしょうか。
おそらく、その両面を持っています。
重要なのは、
ガバナンスを「誰かを縛るもの」としてだけ見るのではなく、
組織全体を支える土台として捉え直すことです。
計画が機能するかどうかも、
理事会と現場の温度差が縮まるかどうかも、
最終的にはこの構造に帰着します。
言葉の流行としてではなく、
経営の基礎として。
ガバナンスという概念を、
あらためて静かに見つめ直すことから始めてもよいのかもしれません。
